こんにちは!ハルちゃんです!
4月はイースターがある月です。
最近では割とポピュラーなんでしょうか。
この「イースター」
日本語にすると「復活祭」でして、起源はイエス・キリストが十字架にかかり墓に葬られ、三日目によみがえったことを記念したお祭りです。
実は、ゴスペルを歌うなら、「復活」を避けて通ることはできません。
ゴスペルにおいて「復活」の意味を知ることは極めて重要だと個人的には思います。
なぜならゴスペルはほぼほぼ復活したジーザスについて歌っているからです。
なんなら『復活なくしてゴスペルなし』です。
さて、
復活について書くときに、短く説明すると
「イエス・キリストは十字架にかかり、死に、
墓に葬られ、三日目によみがえられた」
のようになるのですが、
皆様、ここはゴリセツです。
ゴスペルをこよなく愛する皆様ですから、さらにもう一歩・二歩踏み込んだものをお求めではないかと考え、自分なりに「復活」について勉強しました。
以下はそちらをまとめたものです。
題して
『復活!〜そのとき何が起こったのか〜』
ジーザスの十字架から復活の朝までに起こった出来事を時間を追って見ていくことで「復活」についてもっとリアルに!より鮮明に!
それでは!レッツ!ゴリセツー!
『復活!〜そのとき何が起こったのか〜』
◾️「復活」についての4つの記事
・マタイの福⾳書
・マルコの福⾳書
・ルカの福⾳書
・ヨハネの福⾳書
ジーザスの地上での生涯について書いてあるのが「福音書」と言う書簡です。
書いた人の名前がタイトルになっています。
福音書は4人の記者が違う視点からジーザスについて記録しています。
この4つの福音書はそれぞれ想定している読者層が違うため、強調点が違います。
そうすると、読んでいくとちょっと「あれれ?」となる箇所があるかと思います。
あるいは⽭盾があるように⾒えるかも知れませんが、決してそうではありません。
例えば、ひとつの対象物を数⼈で円形に囲んでデッサンをすると、描き上がった絵は全員が違う構図になりますね。
ある人の絵は左目が見えていないとかetc…。
このように、起こった出来事はひとつですが、それぞれの視点が違うことにより、当然説明に違いが⽣じます。
僕たちも相手によって説明する順番を変えたりしますよね。
逆に全員に全く同じ説明ってしないんじゃないかしら。
よって4つの福⾳記事をそれぞれで補完するように読むと、デッサンがあわさっていくように、当時の様⼦が⽴体的に⾒えてまいります。
◾️時系列で⾒てみよう
(カッコ内は該当の聖書箇所です)
【金曜日】
・午後三時 、イエス、⼗字架上で息を引き取る(マタイ27:46〜50、マルコ15:33〜37、ルカ23:44〜46、ヨハネ19:18〜30)
・⽇没前 、イエスのからだをアリマタヤのヨセフの墓へ埋葬
※当時の墓は岩をくり抜いた横⽳のようになっていて、⼊り⼝に⼤きな岩を転がして蓋をしていた。
(マタイ27:59〜60、マルコ15:46、ルカ23:51〜53、ヨハネ19:38〜41)
【⼟曜⽇(安息⽇)】
・祭司長たち、ローマ総督ピラトに墓の封印を要請
(マタイ27:62〜64)
・ローマの番兵による封印
(マタイ27:66)
[Check!]
当時ローマによる⾒張りは⼀⼈、⼆⼈ではありませんでした。
1組4⼈編成のチームが通常2組で⾒張りにつくことが⼀般的でしたので、
イエスの墓は合計8名の訓練された番兵による警備がなされていたことになります。
この封印は「絶対に破られない。そして、破られてはいけない。」ものでした。
ローマの施した封印が破られた場合、いかなる理由があろうとも、
破った者もそして破られた者も共に死刑となりました。
使徒の働き 12 章では、投獄されていたペテロが天使によって鎖を解かれ牢から連れ出された後、ペテロの⾒張りをしていた看守達が死刑となっています。
この鉄壁とも⾔えるローマの封印によって、⽪⾁にも「絶対に誰もイエスの体を墓から盗み出せない状況」が⽣まれてしまったわけです。
【⼟曜⽇の深夜から夜明け前までの間】
・⼤地震が起こり天使が墓⽯を転がし⽯の上に座る
(マタイ28:2〜3)
・番兵たち動けなくなる
(マタイ28:4)
・番兵たち墓を去り、祭司⻑たちの元へ
(マタイ28:11〜15)
[Check!]
深夜、ローマの封印が破られ、墓⽯(はかいし)の上に座った天使を⾒た番兵たちは動けなくなります。
しかし、うかうかしてはいられません。この事態を急いでなんとかしなければ
⾃分たちの命はないのです。
⽴ち上がれるようになった番兵たちは⼤急ぎで祭司⻑たちの元へ向かいます。
ここらへんややこしいですが、マタイは時系列を前後しながら書いています。
全ての福音書で番兵に女たちや弟子たちが会ったと言う記載はありません。
よって夜明け前にマグダラのマリヤが墓に到着する前には番兵たちはエルサレムに戻っていたことになります。
・・・・・・なんだか西村京太郎トラベルミステリーを読んでいる気持ちになりません?笑
話を戻して、、
番兵たちはどうして⾃分たちの上司ピラトに報告しなかったのでしょうか?
答えは簡単です。
そんなことをすれば必ず死刑になると知っていたからです。
番兵たちの心境はこういった感じではないでしょうか。
「天使に封印を破られた。などという証⾔はピラトには絶対に通⽤しないだろう。そもそもこれはユダヤ教の祭司⻑たちからの依頼なんだから、そっちでなんとかしてもらおう」
報告を受けた祭司長たちは兵士に多額のお金を渡して言いました。
「 『弟子たちが夜やって来て、われわれが眠っている間にイエスを盗んで行った 』と⾔いなさい。もしこのことが総督の⽿に入っても、私たちがうまく説得して、あなたがたには⼼配をかけないようにするから。」(マタイ28:13〜14)
番兵が夜番で全員寝ていた?もし本当に寝ていたら一体誰が弟子たちを見たんでしょう…。子供でももうちょっとまともな言い訳をしそうなものですが、
これが「空の墓」を『イエスが復活した』以外の⽅法で説明しようとした⼀番最初の説です。さすがに⽳だらけだと思ったのか、この後から続々と実はこうだったんじゃないか?説が出てきます。
【⽇曜⽇(週の初めの⽇)】
・夜明け前、まだ暗いうちに マグダラのマリヤが墓へ(ヨハネ20:1)
⽯がどけてあるのを⾒て盗まれたと思い、
急いで弟子たちの元へ(ヨハネ20:2)
[マグダラのマリヤは番兵とも御使いとも会っていない]
・マグダラのマリヤからの報告を受けてペテロとヨハネが走って墓へ (ヨハネ20:3〜9)
空の墓と亜⿇布を⽬撃
家に帰る(ヨハネ20:10、ルカ24:12)
[ペテロとヨハネは御使いとも番兵とも会っていない]
・走って出て行ったペテロとヨハネを追ってマグダラのマリヤは再度墓へ
ペテロとヨハネはすでに家に帰っていたが、マグダラのマリヤは一人墓に残り泣いていた
墓を覗き込み、そこにいた御使いと会話(ヨハネ20:11〜13)
復活のイエスに会う(ヨハネ20:14〜16)
イエスから弟子たちへの伝言を頼まれ弟子たちの元へ(ヨハネ20:18)
・明け⽅早く明るくなってから、マグダラのマリヤ“以外”の⼥たちが墓へ
墓の中で御使いと会話(マタイ28:5〜7、マルコ16:5〜7、ルカ24:4〜7)
怖くなり墓から逃げる(マルコ16:8)
・復活のイエスが女たちの元へ現れる(マタイ28:9)
弟子たちへの伝言を女たちに託す(マタイ28:10)
・女たちは大喜びで弟子たちの元へ
しかし弟子たちは信じなかった(ルカ24:8〜11)
[ここでマグダラのマリヤと合流か?]
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この後イエスは40日間にわたって信じる人たちの前に現れ、オリーブ山から天へ昇って行かれました。
◾️復活のイエスとの出会いがもたらすもの
『すると見よ、イエスが「おはよう」と言って彼女たちの前に現れた。』
(マタイ28:9)
ここで「おはよう」と訳されている言葉は新約聖書が書かれたギリシャ語の原文では「χαιρετε(カイレテ)」です。「カイロウ」と言う動詞の命令形で「喜びなさい」と言うニュアンスを含んだ挨拶です。
英語版の聖書(NKJV)ではこれを「Rejoice!」と訳しています。
復活のイエスに出会う前の弟子たちやマグダラのマリヤ、彼女たちの心境はどうだったでしょう。
愛するひとを失った悲しみで心がズタズタになっていたのではないでしょうか。
これから先どうしたらいいのか。そんな不安もあったでしょう。
深い悲しみと絶望に打ちひしがれているそのときにジーザスは来て、「Rejoice!」と声をかけられました。
悲しみと絶望は、消えない希望と大きな喜びへと変わりました。
ジーザスはこの世の中で誰も勝つことのできない「死の力」を打ち破られたのです。
■終わりに。
「ジーザスは、すべての⼈の罪を贖うために⼗字架で死に、墓に葬られ、三⽇⽬によみがえった。」
このことを伝えたが為に、ジーザスを信じる人が⼤勢処刑されました。
今⽇我々が⽇本語で聖書を読めているのは、イエスの弟⼦たちが命をかけて福⾳を届けてくれたことによります。
もし聖書が、⼤昔の真偽不明な伝説ならば、なぜ命をかけてそれを伝える必要があるのでしょうか。
⼈は、嘘に⾃分の命をかけることはしません。そして真理は、多数決では決まりません。
「ジーザスは⼗字架で死に、墓に葬られ、三⽇⽬によみがえり、今⽣きておられる⽅。
だから今⽇、あなたを罪と死から解放し、将来、天で⽣きる命と天で⽣きる体を与えることができるのです。」
これがゴスペルの伝える希望です。そしてこれを伝えることこそがゴスペルの役⽬なのです。
墓の近くで泣いていた彼女たちのように、絶望の中で泣いている人に復活のジーザスは「Rejoice!」と声をかけておられます。
振り返りジーザスの方へ向き直ったとき、あなたの救い主、復活のジーザスがあなたのすぐそばにおられます。
あなたにイエス・キリストの平安と恵みが溢れんばかりにありますように。
復活の主イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン
『イエスは彼女に⾔われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。
わたしを信じる者は死んでも⽣きるのです。』
(ヨハネの福⾳書11:25)
引用:©︎新改訳聖書2017